ロレンツォ・カッシは、数多くの素晴らしい製作家を抱える現代イタリアの中でも、傑出した存在と言って良いでしょう。偉大な伝統や先人が培った土壌をさらに発展させ、弦楽器製作を究極の精度にまで高めるだけでなく、自身の造形的・音楽的感性を古典的な「型」に落とし込み、1つの完成された新しい造形物を「創造」できる稀有な製作家です。1本の楽器を単なる道具としてではなく「世界にただ1つだけの芸術品」として認めることができる。彼の楽器を手にすることができたプレーヤーは、そんな権利をも手にすることができるのです。
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ロレンツォ・カッシ(1974-)
クレモナ国際ヴァイオリン製作学校において、厳しい指導で知られるヴィンチェンツォ・ビソロッティの下で学びました。1997年の卒業の際に、ヴィンチェンツォに認められビソロッティ工房で引き続き製作を学ぶことを許されました。4年間の修行の後、妻のカトリンと共にクレモナ市内に工房を開設。2010年には故郷であるピアチェンツァ郊外の街「ピアネッロ・ヴァル・ティドーネ」に移住。以来、名工ガダニーニの生誕の地に近いこの街で、ビソロッティのメソッドを忠実に守りながら製作を続けています。
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この4枚の写真の楽器は、2017年に完成したヴァイオリンです。ロッコーマンが2016年に依頼し、約1年の時間を掛けて製作されました。(販売済みです)
モデルは、ジョヴァンニ・バティスタ・ガダニーニが1774年にトリノで製作した「サラブーエ/ベルタ」と名付けられた楽器をもとにしています。ピアチェンツァ近郊で生まれ育ったロレンツォ・カッシは、同郷のガダニーニに愛着を抱いており、すでに1744年の名器「バロン・ヌープ」をモデルにした楽器を製作していました。しかし、ガダニーニのヴァイオリンの中でも演奏家から最も高い評価を受けている晩年の作品をモデルにする方が、より完成度の高い楽器に仕上がるのではないかと考え、型を起こすところから製作を依頼したのです。
ジョヴァンニ・バティスタ・ガダニーニ(1711-1786)
イタリア北部の都市ピアチェンツァの近郊で生まれました。彼がどのようにして楽器製作の道に進んだのかは、よく分かっていません。1740年ごろから楽器を製作しており、ピアチェンツァの演奏家フェラーリ兄弟との親交から、特にこの時期に良質のチェロを製作しました。1749年にミラノに移住した後、さらに1759年にはパルマに移住します。パルマでは公爵に仕えて安定した時期を過ごします。この時期のガダニーニは非常に精度の高い楽器を製作しましたが、一方で公爵の好みに合わせるためにアーチの高いヴァイオリンを作りました。1771年にはトリノに移り、後に著名な弦楽器コレクターとなるサラブーエ伯爵のために仕事をします。すでに高齢であったためか、この時期のヴァイオリンは以前のような精度で作られていません。しかし音響面では一流のソリストの要求に応えられるパワーを持っており、ガルネリ・デル・ジェスのヴァイオリンに匹敵するという評価もあります。
ガダニーニが製作したオリジナルの「サラブーエ/ベルタ」については【こちら】のサイト(オークショナーのタリシオのサイト)で写真などがご覧いただけます。
ロレンツォ・カッシが製作したガダニーニモデルと、オリジナルを比べていただければ、単純にコピーをしている訳ではないことが分かります。現代の製作家の中には、限りなくオリジナルに似せるためにアンティーク・フィニッシュを施したり、同じような見た目の材料を使ったり、場合によっては過去の製作家が行ったであろう製作方法を再現したりして、見分けがつかないほどのコピーを作る製作家もいます。しかし、ロレンツォ・カッシはあくまでも「新作であること」にこだわります。艶のあるフルヴァーニッシュで仕上げることはもちろん、現在分かっている最新の技術と知見を駆使し、楽器の細部に至るまで緻密に作り上げることで、新しい1つの作品を創り出すのです。
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それでは、ロレンツォがどのように新しいモデルを製作するのか見ていきましょう。上の写真は、ちょうどガダニーニモデルについて話し合った際に撮影したものです。図面や写真を見ながら、どのモデルが良いのか、検討を重ねているところです。今回は「サラブーエ/ベルタ」を採用することになりましたが、スクロールが美しくないので、この部分だけは他の楽器を参考にすることにしました。
次に、参考にする図面や写真から、全体のアウトラインやコーナーの位置など重要な部分を拾います。オールドと呼ばれる楽器のほとんどは左右対称でなく歪んだアウトラインを持っているため、細かい寸法すべてを使うことはありません。重要な部分以外は、コンパスを使って正確な図面に落とし込んでいきます。この精緻を極めた作図の方法は、ロレンツォ・カッシの師であるフランチェスコ・ビソロッティを指導した名工シモーネ・フェルナンド・サッコーニが著書『THE “SECRETS” OF STRADIVARI(ストラディヴァリの秘密)』で明らかにした方法です。(サッコーニの孫弟子にあたるアメリカの製作家デヴィット・ガセットが自身の図面を公開していますので、興味のある方は【こちら】をご覧ください)
完成した図面をもとに、型と木枠の製作に入ります。特に木枠については製作上重要で製作家の考え方により様々なものが使われますが、ロレンツォは内枠(インターナル・モールド)を使用します。この内枠の使用方法については、ロレンツォが忠実に守る「ビソロッティのメソッド」で最も重要な部分となり、製作法(*)において根幹を成すものとなります。
*内枠を使う以外の製作法として、19世紀にフランスで主流となり北イタリアでも普及した外枠(エクスターナル・モールド)を使う方法、17〜19世紀にヨーロッパ各地で行われた木枠を使わない方法があり、また内枠と外枠を併用したり、さらに現代では過去の名器のコピーを製作するために意図的に木枠を使わない製作家もいます。
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中央の内枠の後ろに、オリジナルの楽器の写真と金属製の型が見えます。
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(こちらの楽器はガダニーニモデルではありません)
このタイプの内枠はストラディヴァリが使用したものと同じもので、その使用方法は18世紀半ばクレモナの黄金期の製作家がいなくなった際に忘れられてしまったと言われています。トリノのサラブーエ伯爵のもとでストラディヴァリの遺品を研究したガダニーニはこの内枠の使い方が分からず(*)伯爵も活用を諦めて封印してしまいました。19世期末になり製作家ジュゼッペ・フィオリーニがこの内枠に着目し研究を始め、フィオリーニの弟子サッコーニと、さらにその弟子のフランチェスコ・ビソロッティが研究を進めました。ロレンツォ・カッシは、ビソロッティからそのメソッドを学び、それを忠実に守りながら製作を行っています。(ストラディヴァリの遺品は、のちにフィオリーニが買い取ってクレモナ市に寄贈し、現在ヴァイオリン博物館に保存・展示されています)
*ガダニーニは、内枠を使ってバイオリンを製作したと推測されていますが、写真のようなものではなく、厚みのある別のタイプの内枠を使用したと考えられています。また、フィオリーニが活躍した19世紀末〜20世紀前半のイタリアでも同じような厚みのある内枠が使われており、一方でフランスから取り入れた外枠を使った製作も盛んに行われました。
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この時点ではまだアウトラインを完成させず、パフリングも入れないのがポイント。「ビソロッティのメソッド」で最も重要なところです。
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3回塗る毎に研磨し、仕上げにはフレンチポリッシュと呼ばれる方法で光沢を出します。約50日の時間を掛けます。
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チェロ「ガダニーニモデル」プロジェクト
2016年には、ヴァイオリンだけでなくチェロの製作も、同じくガダニーニモデルで依頼しました。ロレンツォ・カッシはガダニーニモデルのチェロを作ったことがなかったのですが、すぐに良いモデルを思い付いてくれました。アルゼンチンのチェリスト「ソル・ガベッタ」など一流のソリスト達が愛用する1740〜50年代の楽器をモデルとすることにしたのです。この時期のガダニーニのチェロのサイズは胴長715mmと小さい楽器が多いのですが、現代のチェリストにも満足してもらえるよう一般的な胴長760mmに拡大して製作することになりました。
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小型であるからこそ真価を発揮するガダニーニのチェロを、大きくして製作するということはオリジナルからかけ離れた楽器になる可能性が高く、実は注文する側にとってもリスクが高いことでした。どういった楽器に仕上がってくるのか、楽しみでもあり心配でもありましたが、それは杞憂に終わりました。2018年の春に仕上がってきた楽器は、全体のバランス、美しさ、音色、パワー、どれを取っても素晴らしく、これまでロレンツォが製作してきたストラディヴァリの名器「デュポー」をモデルとしたチェロにはない、男性的で力強いモデルを創り出すことに成功したのです。
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このロレンツォ・カッシが初めて製作したガダニーニモデルのチェロは、すでに販売済みとなっておりますが、横裏に稀少な「ペアウッド」を使用した楽器を新たに製作してもらっています。2021年に仕上がる予定で、ガダニーニらしい個性あるチェロに仕上がってくれることを楽しみに待っているところです。
次のページでは、2020年5月に入荷した最新のヴァイオリン「ピエトロ・ガルネリモデル」についてご紹介します。またロレンツォ・カッシの師であるフランチェスコ・ビソロッティとその息子ヴィンチェンツォ・ビソロッティについて、簡単にまとめましたので、是非ご覧ください。