カナダ・モントリオールに工房を持つエリック・ガニエは、弓製作の他、オールド弓の修復・調整を行うなど、当代一流の技量を持つ名工です。ピエール・ギヨームの工房「メゾン・ベルナール」で数多くのオールド弓を修復して経験を積み、現在はカナダ有数の工房「ワイルダー&デイビス(リンク先は英語のサイトです)」の依頼を受けオールド弓の修復を行っています。
18世紀末から19世紀の初めにかけて、フレンチ・ボウの礎を築いたのが「トルテ兄弟」です。兄のレオナルド・トルテは、弓製作に特化した職人(当時は経験の浅い楽器職人が弓を製作することが一般的でした)として大成功を収め、演奏家達の様々な要望に応える中で、弓の近代化に大きく貢献しました。残念ながらフランス革命が起こったことにより、レオナルドは王政派として迫害され活躍の場を失っていきますが、時計職人から弓職人に転向し兄に協力していた弟のフランソワ・トルテがその仕事を引き継ぎ、弓の近代化を完成させることになります。
今回エリック・ガニエが製作したヴァイオリン弓は、弟フランソワが兄レオナルドのために仕事をしていた時期(1790-1795年ごろ)に製作されたとされる弓をモデルとしています。1800年以降に完成を迎える力強いフォルムではなく、フランス革命前のロココ様式を思わせる優美なフォルムが特徴です。
ジャン・バプテスト・ヴィヨームの工房で働き、名工ドミニク・ぺカットを弓職人として育てた「ジャン・ピエール・ペルソワ」。ペルソワが誰に弓製作を教わったのかは正確には分かっていませんが、フランソワ・トルテから大きな影響を受けたと考えられています。「P R S」という刻印でも有名なペルソワですが、ヴィヨームの工房で製作された弓(1826-1838年ごろ)には彼の刻印が施されることがないため、ペルソワの作品として世に出たものは非常に少ないと考えられています。
このようにエリック・ガニエの作品は、1850年以前の「弓の近代化の草創期」に製作されたオールド弓をモデルとしています。それは、彼がオールド弓の修復を通して、この時代に製作されたフレンチ・ボウが最も個性的で魅力的である、と確信を持っているからです。この時代に活躍した名工として「ヤコブ・ユーリー」も知られていますが、エリック・ガニエはヴァイオリン弓およびチェロ弓で、ヤコブ・ユーリーのモデルも製作していますので、機会があればご紹介したいと思います。
〈参考文献〉
Bernard Millant/Jean François Raffin, L’Archet, Paris: L’ARCHET ÉDITIONS, 2000
《エリック・ガニエの師 ブレイズ・エメラン》
エリック・ガニエは、フランスのトゥールーズにおいてブレイズ・エメランから弓製作を学び、製作家としてのキャリアをスタートしました。ブレイズ・エメランは、ベルギーのメゾン・ベルナールに1988年から1991年まで在籍し、ピエール・ギヨームのアシスタントを務めた後、フランスやカナダの各地において数々の弓製作家と工房を共にした知られざる名匠です。